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思いがけないプージャ

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2ヶ月前のタイ北部パーイでの瞑想後、パーイ渓谷で沈んで行く夕日を眺めていたとき、

ある思いが私の中に沸き起こった。

お腹のそこから沸きあがり、胸の奥から溢れ出るような「ただ与えたい」という思い。

なんだかとっても心が満たされ喜びに満ちているのだ。

この喜びの気持を誰かに分け与えたい。

自分の一部を他人に分け与えたい。

だけれどもこの与えたい気持をどうやって表現し、分け与えたらよいのだろう?

そして突如思いだされたのは

ダラムサラで出会ったチベットの人々の生きる姿、そしてその美しい笑顔だった。

ダラムサラに住むチベットの人々へ小額ではあるけれども

自分のできる範囲で寄付をするということ。

こんな考えや思いが生まれ出たのは初めての経験。

それが今の私にできる自分の中に沸き起こる「何かを与えたい」

という気持の消化の仕方、表現の仕方。

それはある意味とても利己的で

とても漠然としたものでどういう形になるかわからないけれども。

私は再びダラムサラの地を踏んだ。

チェンマイからインドへそして再びダラムサラへ。

季節は3ヶ月前の乾期から雨期のモンスーンシーズンへと移り変わっていた。

到着してから2日間雨が降り続き

3日目の午後ようやく晴れ間がさして来たので

チベット寺へ行く事にした。

すると前回出会っていたチベット哲学を学んでいる学生に当然のように再会した。

私がダラムサラに再び足を運んだ事を説明し、

寄付をすることが自分の希望である事を話すと

チベット寺の中にある僧侶や学生達が利用する食堂の浄水器が壊れており

不便であるということ事を話してくれた。

私は何日か考え、食堂の浄水器を買い替えるために寄付をしようと決めた。

チベット仏教や哲学を学ぶために、

僧侶や学生達が住むチベット寺に付属する寄宿舎の食堂だ。

毎日そこで朝昼晩と食事をするおよそ150人が使用するキッチンの飲み水。

とくにモンスーンシーズンは水道水の水にゴミや石がまじったり、

衛生状態の良くない水をやむなく飲まなければならず、

お腹を壊してしまう僧侶や学生もいるという。

チベット仏教の教えは多くの人々を苦しみから救うことができる。

その教義を学ぶ彼らが健康で、

勉学に励める手助けになれたらほんとうに嬉しいと思ったのだ。

このチベット寺の食堂に

こんなかたちで私の思いを表現できるということに感謝だ。

そして

寄宿舎に住む学生や僧侶達をまとめるお師匠さんと会い

私の意志を伝えた。

お師匠さんは私のこの「与えたい」気持を寄付という形で受け取ってくれたのだ。

お師匠さんは、そのお礼にと僧侶や学生達の前で私の寄付について公表し、

プージャをしてくれるとおっしゃってくれた。

私は少し戸惑った。

何となくそういった行いは他人に言いふらすことではなく

お布施や寄付はなるべく目立たぬようそっとするものと思っていたから。

戸惑う私を見たお師匠さんは

私のそんな気持を察してだろうか?こんな言葉をくださった。

僧侶や学生の前で自分がしたお布施や寄付のことを皆の前で公表することは

自分にとっても寄付された側とっても重要でとても有意義なことなのだと。

そしてプージャをする事により、自分をもっと幸福にできるのだと。

そうなのか・・・

考えてみたら自分のしたお布施や寄付を自慢してみたり、

謙遜し過ぎたりするのは

どちらも自分のエゴなのだと気づいた。

どちらもエゴの強さの現れなのだと。

自然体でいいのだ。

自分のしたことを自分でそのまま受け止める。

寄付を受け入れてくれた事

そして自分のエゴに気づかせてくれたお師匠さんに心から感謝しよう。

プージャをしていただけるとは思いがけない展開だったけれど

素直に嬉しかった。

だってもっと幸せになれるのだから。

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チベット仏教でのプージャの様子は予想外だった。

インドのヒンドゥー教のプージャのように火を燃やしたりハチミツや牛乳

ヨーグルトなどを神様に捧げたり、

曼荼羅を描くような儀式は一切なかった。

儀式としてただただお経を捧げるのだ。

私のために???

何十人ものお坊さん達から発せられる重低音の声が

部屋中に大きく響き共鳴している。

お経のシャワーを全身に浴びている感じだ。

音の波動は全身を伝わり、

カラダ中に細かく振動する感覚が広がっているのを知覚する。

そしてココロは静粛な空洞でできているみたいに落ち着いている。

一時間ほどでお経プージャが終了すると

ココロもカラダもタマシイも

浄化されたみたいで晴れ晴れとした気持ちになっている。

全身にエネルギーをチャージされたみたいだ。

血が巡り、気が巡り細胞のひとつひとつがしびれているような、

振動しているような、流れるような感覚。

そして幸福感に包まれる。

お師匠さんの言ったことは本当だった。

プージャによって幸福になっている。

チベット僧侶やここで勉強する学生さん達が、

とても輝いて見える理由のひとつに

このプージャ効果があるのかもしれない。

そしてお寺を後にし、

ダラムサラの街が歩きながら

さっきよりもひときわ輪郭をもってみえる人や山や街のあかり、

そして幼い頃の時ように

無垢な感覚に生きることへの喜びを感じていた。

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by vidavidya | 2013-11-11 19:38 |